社長ブログ

2022年はCOYA KAWAGOEの年!

遅ればせながら(汗)明けましておめでとうございます!

ついに2022年!

COYA KAWAGOEの年がやってきました!

100年に一度しか訪れない

そしてもう二度とやってくることがない

COYA KAWAGOEにとって本当に記念すべき年!!!

私がこんなに浮かれてしまう理由を早く語りたい!

でも出し惜しみしたい!!

ということで、突然ですが問題です(笑)

さて、この人物は誰でしょう?

ん?

あれ?

あ、間違えました、これは私の写真ですね!(笑)

この写真は、COYA KAWAGOEがプロデュースする

セルフ写真館「SELFIEBOOTH by COYA」で撮影したものです!

今都内で爆発的な人気のセルフ写真館、ファミリーでもご利用いただけますよ!

すみません、ちゃっかり宣伝しちゃいましたが(笑)

仕切り直して・・・

この人物は誰でしょう?

川越にゆかりの深い人物ですが、おそらく川越市民でもすぐにわかる人はほとんどいないと思います

しかし!!!

2022年のCOYA KAWAGOEが熱い理由はまさにこの人物あってこそなんです!

COYA KAWAGOEがオープンしたのはこの記念すべき年の前年、2021年10月

この物件を見つけた当初はまだその事実に気が付いていませんでした

100年に一度の記念すべき年にこんなご縁があったなんて・・・

COYA KAWAGOEが熱い理由!

それは2022年に迎えた川越の“市制施行100年”という大きな節目

“市制施行100周年”ということは100年前に川越町から川越市になったということです(当たり前ですが笑)

そしてその初代川越市長に就任したのが先ほどの写真の人物

そう!!綾部利右衛門(あやべりうえもん)です!

実は・・・COYA KAWAGOEはその綾部利右衛門が住んでいた家なんです!

私はその事実を知ってから調査に調査を重ねました

〇ィキペディアに始まり、海なし県在中のくせにネットサーフィンに明け暮れ(情報という波に溺れかけたこともありました汗)

調べれば調べるほど綾部利右衛門の偉業の数々を発見するに至りました(私もいつか有名な波ノリになりウ〇キペディアにもノリたい!)

あの渋沢栄一と同じ時代に生き

実業家としての手腕を発揮し

日本の近代化に大きく貢献した人物だったんです!

この事実を多くの人に知ってもらいたい!!

そんな想いから綾部利右衛門の偉業をまとめてみました

川越市にとって“市制施行100周年”はこの人なしには語れません!

↓↓↓是非ご一読ください↓↓↓

綾部利右衛門の偉業

history-of-riuemon

(私の心の声とともにお楽しみください)

綾部峯太郎は、万延元年(1860年)、埼玉県川越市喜多町にある綾部家の十代目として生まれました

私は渡邉家の3代目です!そんな情報いらないですね笑

綾部家は江戸城御用達の塩や油、肥料の販売や新河岸川を利用した川越 – 江戸間の物流・問屋業である回漕店を経営するなどしていた豪商で、代々が綾部利右衛門を踏襲してきたため、峯太郎も利右衛門を名乗りました

十代目利右衛門となった峯太郎は実業家としての手腕を発揮し川越の経済発展や文化振興に大きく貢献することになります

さて、これから数々の偉業を一挙ご紹介!

明治11年(1878年)、埼玉県唯一の国立銀行である第八十五国立銀行(現:埼玉りそな銀行)の創設に参画し、その後、 頭取として業務を統括しました

なんと、この時の年齢18歳!

明治33年(1900年)、埼玉県初の商工会議所である川越商業会議所(現:川越商工会議所)を設立し、明治36年(1903年)から約30年間もの長い間、その会頭の職に就きました

会頭室には綾部利右衛門の写真が飾ってあります

私も拝見しましたが、さっきの写真よりおじいちゃんになってました

明治35年(1902年)に川越馬車鉄道を設立し、翌年には埼玉県で初となる電力供給事業に進出し川越電灯を設立、さらにその翌年の明治37年(1904年)には埼玉県で初の火力発電所を建設しました

こうして明治40年(1907年)、埼玉県で初めての電灯が川越に灯ることになります

COYA KAWAGOEの店舗照明は当時の裸電球をイメージしています

細かいところまでこだわってるんですよー!

それに先立ち、 川越火力発電所の電力を使用して川越馬車鉄道は川越電気鉄道に改称され、明治39年(1906年)、川越 – 大宮間に埼玉県で初の電車を走らせました

今はその形跡は残っていませんが一部遺構が残っている場所があります

また大正2年(1913年)には武蔵水電を創立して水力発電事業にも進出、武蔵水電は大正9年(1920年)に川越鉄道(現:西武国分寺線・西武新宿線)を合併します

その後、武蔵水電は帝国電灯に吸収合併されますが、 帝国電灯は鉄軌道部門を分離することになったため利右衛門は西武鉄道(旧)を発足させました

この西武鉄道(旧)は後の第二次世界大戦中の昭和20年(1945年)、武蔵野鉄道と合併し現在の西武鉄道が誕生することになります

現在の西武鉄道ってあの有名な西武グループですよ!

利右衛門はまた、川越 – 池袋を結ぶ京越鉄道の発起人にもなりました。京越鉄道は紆余曲折を経て、東武東上本線として実現することになります

東上線にも関わってるんですね!

明治35年(1902年)には利右衛門の土地提供によって川越会館(現:川越市民会館)が完成するなど、川越の発展に寄与してきた利右衛門は、大正6年(1917年)に名誉川越町長に就任します

その後、大正11年(1922年)に市制施行を果たすと、埼玉県で一番最初に市になった川越市の初代市長を努めました

今からちょうど100年前ってことです!

川越の発展に多大なる功績を残した利右衛門は、昭和7年(1932年)、惜しまれながらこの世を去りました

享年72でした

埼玉県”初”の数々の偉業、そして経済発展への多大なる貢献を果たしてきた綾部利右衛門

そんな偉人が住んでいたのが“COYA KAWAGOE”のある綾部家なのです

このような歴史ある綾部家だからこそ、私たちは伝統を重んじ、その伝統を世の中に発信するべく新たな撮影スタイルを生み出し続けていきます!

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  1. Where there is a will, there is a way.

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